歳時記

畑とサウナで考えた

投稿日:

 今朝、ひさしぶりに畑へ出かけた。
「ジャガイモを植える準備をせんにゃいけん」
 と、親父が毎日うるさいので、私は重い腰をあげたというわけだ。
 昨日は築地本願寺で通信教育生の勉強会があり、夕方帰宅してから保護観察の少年宅を訪問。晩飯をかきこんで徹夜で原稿の追込み。
 正直、畑どころではないのだが、子供がデズニーランドをせがむがごとく、「ジャガイモ」を毎日連発されたのではしょうがあるまい。
 愚妻を叩き起こして、畑へ出かけたのである。
 親父も八十半ばを過ぎて、さすがに動きが鈍くなり、
「あっちを掘れ、こっちを耕せ」
 と、命じるだけ。
 命じるだけだから、親父は疲れない。
 これまでは2時間もすると、
「さあ、そろそろ帰るか」
 と、早々に〝帰るコール〟を親父は発していたのだが、今日は疲れないものだから、
「あっちを掘れ、こっちを耕せ」
 おかけで、めまいがするほどだった。
 人に命じてやらせるのは楽しいもので、これを親父のクセにしては私の身体がもたない。次は、親父にも鍬(くわ)を持たせなくては。
 午後、仮眠をとってから、ノートパソコンと資料を持って健康ランドへ出かけた。
 いま書いているのは「良寛の清貧」をテーマにした〝生き方本〟だが、いろいろ考えさせられることが多い。
 
 生きることは難儀で、それならば死ねばいいようなものだが、それはイヤだとする。
 
 死ぬのがイヤなら、生きることを楽しめばいいのに、それは難儀だとする。
 畑が大儀であるならやめればいいものを、収穫のときはニコニコ笑顔。
 人間は何とも救いがたいものだと、人ごとのようにサウナで考えるのである。

-歳時記

Copyright© 日日是耕日 , 2024 All Rights Reserved.