歳時記

「土俵」の広さ

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勝てば官軍、負ければ賊軍。
これが世のなかだ。
サッカーだ、大リーグだ、五輪だ何だと、いまやスポーツ選手はまさに「国民的英雄」だが、それも勝てばの話で、コロリと負ければ肩身は狭かろう。

以前、紹介したと思うが、ミラノ・コルティナ冬期五輪で、フィギュアスケート女子の坂本花織選手が、ショートプログラム前日、涙ながらにこんな胸中を吐露した。

「頑張りが報われなかったらどうしようという不安が、めちゃくちゃ襲いかかっている。毎日泣いている。確実に胃腸炎になって倒れる。全身ストレスがかかっている」

日本代表という国内頂点に立ったがゆえのプレッシャーである。

頑張って頑張って頂点に立って苦しむのだから、この頑張りはいったい何なのだろうと、怠け者にして天の邪鬼の私は思ってしまうのだ。

苦しみは結局、努力と頑張りに正比例するのではないか。

努力も頑張りも大事なことだが、「頑張り過ぎない」ということはもっと大事なのではないかと、このころ思うのだ。

息はしなければ生きていけないが、息をするためには吐かなければならない。
頑張って、吸って吸ってばかりいると息が詰まってしまう。
息を吸い過ぎたがゆえに「窒息死」するなど、これ以上の皮肉はあるまいが、私たちはそうと気づかず、
「息が苦しい!」
と、のたうつのだ。

ならば、頑張り過ぎないとは、どういう生き方を言うのか。

それは「土俵を広げる」ということだ。
狭い土俵で勝負していると、
「あっ、あとがない!」
押し出されないよう必死で頑張らなければならない。

「土俵」とは精神的な意味での土俵のことで、対人関係や価値観などにおいて精神的な余裕がない人を「土俵が狭い」と言う。
だから押し出されないよう踏ん張り、踏ん張りきれなくなって押し出されてしまう。
こんな人生は、誉められたものではあるまい。

だから心豊かに生きていくには、土俵を広げればいいのだ。
サッカーコート一面ほどの広さの土俵で勝負すればどうなるか。
「戦う相手」や「達成すべき夢」「目標」「仕事」がどこにあるのかわからなくなってしまい、必然的に「頑張り過ぎる」から解放されることになる。

「頑張り過ぎる」と「苦」は正比例するのだから、「苦」もまた小さくなるのだ。

人間の度量とはすなわち「土俵の広さ」のことであり、土俵の広さは自分で自由に決めてよいのだ。
ありがたいことではないか。

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