一時はやめた図書館の利用を再開した。
このところ必要があってアマゾンで購入した書籍が立てつづけに大外れ。
書名とサブタイトルの惹句で買ったのだが、どれも羊頭狗肉。
新刊はともかく、旧刊本は図書館で現物に目を通して買うべきだと反省した次第。
だが、いますぐ必要な資料本は借りてきてすぐに目を通すが、
(読んでみたいな)
と思う程度の本はなかなかページを開かず、そのうち返却期限。
大急ぎでパラパラとめくり、そのまま返却ということになってしまうのだ。
なぜだろうといろいろ考えるに、たぶん「身銭を切って購入した本」ではないからだ。
アマゾンでポチも外れがあるが、それでも購入前は吟味する。
ところが図書館で借りる本は、Webで気軽にポチポチと予約する。
「何が何でも読みたい」
というモチベーションが弱いのである。
だから借りてきても、机の端に置いたままになってしまう。
つまり、「易(やす)きものに価値なし」ということなのだろう。
何事においてもそうだが、それを手に入れるための「労苦」と「価値」は正比例するということだ。
「易きものに価値なし」とは、そのもの自体の絶対的な価値ではなく、
「自分にとっての相対的価値」
ということになる。
すなわち、飽食のときの「高級ステーキ」は、空腹のときの「おにぎり」にかなわないということなのだ。
逆説的に言えば、「相手にとっての相対的価値」を上げるには、そのものを手に入れるために労苦を課せばいいということになる。
交渉の名手は、簡単な交渉ほどわざとハードルを何重にも設定し、「相手にとっての相対的価値」を高め、鼻面を引きまわし、最後に折れてみせるのだ。
イラン、パレスチナ、ウクライナを持ち出すまでもなく、我が国の国会審議などその最たるものである。