歳時記

「仏教奥義」と「愚妻」

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GWは和製英語だそうだ。
その名のとおり「黄金週間」である。

ならば、外出自粛の「超大型連休」は何と呼ぶのか。
超ハッピーなはずなに、喜ぶ人は少ない。

理由は言うまでもない。
額に汗して働く日々があってこその「連休」だから価値があるのだ。

つまり、苦と楽はセット。
どっちが欠けても存在しない。

仏教で言えば「煩悩(ぼんのう)即(そく)菩提(ぼだい)」

親鸞に言わせれば、
「罪障(ざいしょう)功徳(くどく)の体(たい)となる」
ということだ。

煩悩と菩提(さとり)はセットで、どっちが欠けても存在しない。

同様に、幸せは不幸があって初めて成り立つ。

何をもって幸不幸とするかは人それぞれとしても、幸せが不幸によって成り立つ以上、感謝は「幸せ」にではなく、「不幸」に対してなされるべきではないか。

「不幸即幸福」である。

ところが私たちは不幸を嫌う。
何と愚かなことか。
不幸を嫌ったのでは、幸せになれるわけがない。

今朝のウォーキングで、私は忽然と仏教の奥義を悟った次第。

晴天の青い空を仰ぎつつ、清々しい気持ちで帰宅すると、テレビを観ていた愚妻がアクビを噛み殺して言う。

「ちょっと、昼の食事は何時に帰ってくるのよ。12時に帰ったり、1時に帰ったりで、ハッキリしてもらわないと支度するのに困るのよね」

この1週間、朝から道場の仕事部屋に籠もり、昼食を取りに歩いて3分の自宅に帰っている。
12時に帰ろうが1時に帰ろうがいいではないか。

「わしは新幹線か」
「何よ、それ」
「時刻表どおりの運行という意味だ」
「バカみたい」

いかに仏教奥義を悟ろうとも、現実生活と愚妻には歯が立たないことを、これまた忽然と悟ったのである。

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