歳時記

「我慢」と「呵々大笑」

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『我慢』は、煩悩の一つである。
仏教を囓ったことのある人は承知と思うが、仏教の説く『我慢』は、

「我(自分)+慢(慢心)」=自分への執着

となる。

煩悩である『我慢』が美徳という意味で用いられるようになるのは、

「我を張る」⇒「見栄を張る」⇒「やせ我慢」⇒転じて「堪え忍ぶ」

こうなったからである。

コロナ禍によるGWの外出自粛につい、
「我慢、我慢」
と、先ほどテレビで連呼していた。

私も口で「我慢、我慢、我慢」とつぶやいてみて、ハタと気がついた。

「我慢」という字は、ひっくり返せば「慢我」になる。

「我慢」⇒「慢我」⇒マンガ

こうなるではないか。

つまり、
「こうしたい、ああしたい、ショッピングもしたいし、温泉にも浸かりたい、自分は正しい、営業自粛しないパチンコ店はけしからん」
あらゆる欲望や自分の価値観に執着し、イライラしながら「我慢」する私たちの姿は、ひっくり返して見れば「マンガ(滑稽)」ということになる。

つまり、人智の及ばぬ環境や境遇に置かれた自分を素直に受け入れることができない私たちは、マンガチックな人生を送っているということになる。

どういう状況にあろうとも、そこに楽しみを見いだすことのできる人はハッピーなのではないか。

「面白い」ではない。
「面白がる」なのだ。

現実生活に即して言えば、
「呵々大笑の日々」
ということになる。

何が起ころうとも、呵々大笑。
進退窮まっても、呵々大笑。
どうすればいいかは、笑ったあとに考えればいいのだ。

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