私がよく行くスーパー銭湯は、自宅からクルマで20分ほとで、いつも夜に行く。
これに今朝、ふと疑問を抱いた。
(用事がない日は、日中に行ったっていいではないか)
なぜこのことに、いままで気づかなかったのか。
日々、新たな発見があるものだ。
「行くぞ」
すぐさま愚妻に命じて、風呂の用意をさせた。
私ひとりで行けばいいのだが、風呂の回数券は愚妻が保管しているし、着替えがタンスのどこに入っているか、私にはわからない。
したがって、やむなく愚妻を帯同することになるのだ。
風呂へ行って驚いた。
ガラ空きだろうと思っていたら、混んでいるではないか。
「ヒマ人ばっかりではないか」
私が口をとがらせると、
「あなたもその一人じゃないの」
愚妻がバチ当たりなことを言う。
「私はヒマ人ではない。たまたまヒマができたのだ」
「同じでしょ」
「違う、断じて違う」
風呂で、夫婦の論戦になった次第。
本願寺中興の祖である蓮如上人の言葉に、
《われは悪(わる)しと思う人なし》
というのがある。
「人間は、自分というものにとらわれいるために、自分が悪いと考える人はいない」という意味で、自己中心の生き方や価値判断を戒める。
盗人にさえ〝三分の理〟があるとするなら、私たちには百パーセントの理があると考えるだろう。
だから「百パーセントVS百パーセント」となり、自説に固執するのである。
そのことに湯船で思い至った私は、帰途に立ち寄ったトンカツ屋で、愚妻に話して聞かせた。
「いいか、本願寺中興の祖である蓮如上人の言葉に《われは悪しと思う人なし》というのがある」
「ソース取って」
「だから人間は、自分というものにとらわれているために……」
「ドレッシング取って」
「だから人間は……」
「このトンカツ、よく揚っているわね」
「ホントだな」
風呂は、やはり夜に限るようだ。
昼間のスーパー銭湯
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