「健全なる精神は、健全なる肉体に宿る」
ということであれば、
「仕事のやる気は、健康なる肉体に宿る」
ということになろうか。
いまいち、ファイトが沸いてこない。
鍼灸整体医院のマッサージ治療で楽になったとは言え、治ったわけではなく、それも当然だろう。
で、昨朝。
気分転換のため、ウォーキングに出かけた。
痛みがひどくなっても、この日の午後は鍼治療に行くのだから なあに構うことはない。
早朝は実に気分がいい。
陽光に朝露がキラキラと光っている。
壮大な景色も結構だが、名も知れぬ草が宿す朝露の素朴さは、美しさにおいて引けをとるまい。
と、そこへ、ウグイスが「ホーホケキョ」
これに私は気分を害したのだ。
春先に聞いたときは、何とも言えず心地よかったが、酷暑の夏になっても「ホーホケキョ」とやられたのでは、いつまで自慢げに鳴いているようで興ざめではないか。
セミのように喧(かまびす)しく鳴いて、さっと消える。
これがいいのだ。
花で言えば桜花である。
ところがウグイスときたら、いつまでも鳴いている。
私は何事につけ「長っ尻」が嫌いのだ。
居酒屋あたりで、ペチャクチャといつまでも「長っ尻」するグループがいる。
「長っ尻」そのものが悪いというのではない。
店としては客の回転率を高めたいだろうに、飲食の追加注文もせず、いつまでもペチャクチャやられたのでは困るだろう。
そのことに思いを馳せない無神経さが好きではないのだ。
これは組織における地位や立場も同じ。
「長っ尻」していては迷惑なのだ。
つらつらとそんなことを考えながらウォーキングしていて、ふと、
(ならば人生はどうか?)
という思いが浮かんできた。
人生においても「長っ尻」は、やはり嫌われる。
セミのように喧しく鳴いて、さっと消えてこそ、惜しまれるのだろう。
愚妻が何かにつけて、
「ホント、あなたってうるさいわね」
と私を非難するのは、ひょっとして私はいつまでも「ホーホケキョ」と鳴いているウグイスになっているのかもしれない。
昨朝は、ウォーキングしながらそんなことを考えた次第。
昨日午後の鍼治療で、脇腹の痛みがかなり楽になったような気がする。
身体をひねる運動はだめだが、ウォーキングは大いによろしいとのこと。
そんなわけで今朝も早朝ウォーキング。
さてさて、今朝もウグイスは鳴くだろうか。