歳時記

「胆のくくり」ということ

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マッサージに行かなくなって何年になるだろうか。
かつては週に2回ほど通っていた。
月に8回として結構な金額になるが、男性担当者が上手で、首や肩、腰が楽になる。

だが、あるとき、ひょいと思った。

(この調子で体調を整えるとしたら、わしは死ぬまでマッサージにかからなければならないのではないか?)

そうだ。
マッサージは対症療法に過ぎず、根本的な解決にはならないのだ。
ウォーキングをし、ストレッチをし、日帰り温泉で身体をほぐすことで体調を整えるべきではないのか。

担当の男性マッサージ師に、そう告げると、
「でも、人間の身体は自然に歪みが出てきますから」
ときおり矯正が必要なのだと、当惑気味に言ったものだ。

それから数年。
マッサージはいっさい行っていない。

「凝(こ)ればマッサージに行けばよい」
そう思うから凝りが気になるのだ。

「マッサージには絶対に行かない」
と決心すれば、凝りは気にならなくなった。

「うまいものを食べたい」
と思うから腹が減るのだ。

「食べ物なんぞ、何だっていい」
そう思えば腹は減らない。
もちろん腹は減るが、さして気にならなくなる。

電車に乗って、
「坐りたい」
と思うから、疲れが襲ってくる。

「坐らない」
と決意すれば、疲れを感じることはない。

いかに胆をくくって日々を処するか。
このあたりに人生の要諦があると思うのだ。

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