歳時記

「見切り」と「願望」

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行楽地はどこも大混雑だと、テレビニュースが報じている。
京都など外国人観光客でごった返しているが、私がオーバーツーリズムに辟易したのはいつころだったか。

毎年、愚妻を連れ、桜と紅葉を観に京都へ出かけていた。
桜を観たら秋の宿泊を予約し、紅葉を観たら春の宿泊を予約する。
ホテルの会員になっているので、予約は便宜をはかってくれていた。

外国人観光客が次第に多くなったのはコロナの何年前からだったか。
京都に行くと必ず立ち寄る名所や寺院は大混雑するようになった。
ホテルの朝食時も実ににぎやかで、
「もう京都はやめだ」

唐突に見切るのは、私の得意とするところなのだ。

「何事も見切りが大事だぞ」

と常々私に言ってくれていたのは、故安藤昇さんで、

「だけどな、人間は後ろ髪を引かれるから見切るというのは難しいんだ。どこでスパッと手を引くか。これができて一人前だな」

そんなこともあって、私はいつも「見切る」ということが頭の片隅にあり、いったん見切ったら未練を残すことは一切ない。

さて、臨終において今生の命を見切ったとき、この娑婆世界に未練を残すかどうか。
それを確かめてみたいと、これは私の最大の願望なのである。

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