歳時記

「隠棲」と「加齢」

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愚妻が入院して、本日で9日。
居間など雨戸を閉めたままにしている。
たまには開け放って風を入れたほうがいいのではないか。

愚妻にLINEでお伺いを立てると、すぐに電話がかかってきて、
「余計なことしないの!」

厳しく言われた。

「これまで開けたことあるの? ないでしょう?」
そして「余計なことしないの」をくり返した。

なぜ雨戸に思いを馳せたかというと、家事が面白いのだ。
時間を取られて仕事はちっとも進まないが、初めての体験とあって面白いのだ。

毎日、洗濯をしている。
電気ポットは水を足さなければいけないことを知って、目からウロコである。
風呂も掃除する。

問題は食事だ。
料理はもちろんしない。
食べに出かけるのは面倒だ。
コンビニで弁当を買うのは、何となくカッコ悪い気がするし、ゴミが出る。

愚妻が入院前、パン類やヨーグルトなど、山ほど買い置きしてくれているので、
それを食べている。
外食は9日間で2回。
それでも元気である。

だが、独居生活を経験して、「隠棲」の自信がついた。
かつて九十九里の鴨川や白子に仕事部屋を借りて温泉を楽しんでいたが、75歳になったら、もう一度、そういう生活をしたくなった。
賃貸にし、そのときの気分で住まいを移るのだ。

贅沢はしない。
生産的なことは一切せず、最低限の生活で、あとは晴耕雨読である。

問題は洗濯である。
食事は何とかなるにしても、洗濯をどうするか。
隠棲先から宅急便で自宅に送って洗濯をしてもらうしかあるまい。

かつて愚妻に打診し、
「冗談じゃないわよ」

一蹴された経緯がある。

だが、このたびの独居生活で、洗濯機さえあれば私でも洗濯できることがわかった。
これで大手振って隠棲できるではないか。

先日の月曜日、病院で愚妻に会ったとき、そのことを告げると、
「どうぞ、私に迷惑をかけないなら好きにしてよ。でも」
「でも何だ」
「75歳を過ぎたら、部屋は貸してくれないんじゃない」

さらりと言った。

愕然である。
そうだ。
独居老人には、部屋も家も貸さない。

隠棲できないではないか。

お釈迦さんは人間の苦について「生老病死」と喝破したが、なるほどそうだ。

愚妻の一言で、私はいま改めて加齢の厳しさを知ったのである。

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