歳時記

大河に身をまかせる

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 人生は「因縁生起」である。
「因」に「縁」が作用して「果」を生み、その果が「因」となり、別の「縁」によって新たな「果」となる。
 これを延々と繰り返す。
 だから人生は、自分の意志と関係なく、あっちに跳ね、こっちに跳ね、まるでラグビーボールである。
 ところが、私たちは自分の望む方向へボールを跳ね飛ばそうとする。
 言葉を変えれば、「縁」を自分の意志に従わせようとする。
 うまくいかないのも道理である。
 
 そうではなく、ボールが飛んだ方向に合わせて、人生というゲームをプレイする。
「縁」を自分の意志に従わせようとするのではなく、「縁」を活かすという処し方だ。
 だが、これがなかなか難しい。
 なぜなら、「縁」は自分の意志の外にあるものだけに、これに従うという生き方は度胸がいるからだ。
 だが、来し方を振り返ると、自分の意志で切り拓いてきたように見えて、「縁」に導かれていることがよくわかる。
 日々に一喜一憂せず、「縁」という滔々たる大河に身をまかせつつ、今を根限り生きていれば、やがて大海に流れ至る。
 これを「現実を甘受する」と言う。
 今日から5月。
 真夏の陽気をよそに、仏教書を読みつつ、あれやこれやと思いがよぎるのだ。

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