歳時記

老夫婦の「間合い」

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 野村克也氏が奧さん(沙知代さん)を亡くされ、預金通帳のこととか、家のことが何もわかからず、途方に暮れているという週刊誌記事を読んで、ハタと我が身を振り返った。
 私は何もわかっていない。
 先日も、ガスコンロにかけたヤカンが沸騰していたので火を止めようとしたが、やり方がわからず、
「おい、沸騰しているぞ!」
 と、2階で洗濯物を干している愚妻を呼びつけた。
 あちこちの部屋のエアコンを点け、風呂場のヒーターを点けたらブレーカーが落ちたが、もちろん私はどうしていいかわからない。
 愚妻が懐中電灯をつけ、ブレーカーを元にもどした。
 いまだに浴槽の温度設定がわからず、愚妻を呼びつける。
 これは、私が何もわからないというより、そういうことに関心がないのだ。
 興味のあることは徹底して凝るが、関心のないことには見向きもしない。
 だが、野村克也氏の記事を読んで、これではマズイと思った。
「おい、通帳と印鑑はどこにある」
 いきなり愚妻に問いかけたのが失敗だったか。
「なに考えてるのよ?」
 ジロリとニラんだ。
「いや、他意はない。おまえが先に死んだら、わしが困るから」
「先になんか死なないわよ」
「そうだとは思うが、万が一ということもある」
「万が一なんか、ない!」
「いや、そう思うのが凡夫の浅ましさで、明日をも知れぬのが人間の命じゃ。ひとたび無常の風来たりぬれば・・・」
「そんなことは、よそへ行って講釈してらっしゃい!」
 すっかりご機嫌を損ねてしまった。
 老夫婦の「間合い」というのは、なかなか難物であることに、いまさらながら気がついたのである。

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