歳時記

愚妻の「成長」

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 昨夜は、愚妻と一緒にスーパー銭湯へ出かけた。
 途中、雨が降り出したので、ワイパーを動かすと、油膜がギラギラである。
 ガソリンスタンドで、給油のときに窓を拭(ふ)いてもらうと、いつもこうなのだそうで、
「だから、拭いてもらわないんだけど、あまりに汚れていたから」
 と愚妻が言う。
 クルマにガソリンを入れるのは愚妻の仕事なので、くわしいことは知らないが、クルマのボディーを拭く布で窓も拭くのだそうだ。
 なるほど、それでは油膜がつくはずである。
「どうして、ボディーと窓と同じ布で拭くのかしらねぇ」
 と、愚妻は怒っていたが、ふと、
「別の布で拭いてくれて油膜がつかないスタンドがあれば、きっとはやるんじゃないかしら」
 と言った。
 これに私は感心した。
 もちろんアイデアにではない。
 怒りという「自分の立場」から「客観視」へ転換したことに感心したのである。
 どうやら愚妻も、「我執」から少しずつ離れつつあるということか。
 成長である。
「馬に念仏、愚妻に説法」
 と、あきめていたが、これからも根気よく仏法を説き続けよう。
 気を取り直した一夜であった。
 

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