歳時記

言葉は「レーザー照射」のごとく

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 昨日は、埼玉県の所沢に出かけ、これから僧侶を目指すアラフォー君と旧友と3人で会った。
 仏教の話、僧侶世界の話など話題はつきなかった。
「本音と建て前」という言葉に象徴されるごとく、私たちは何事も二元論でとらえ、その是非を論ずる。
 だが、人生も世間も、そう簡単に割り切れるものではなく、是非は渾然一体になっているのではないか。
 釈迦の説く「中道」とは、「片寄らない」という意味だが、これを一歩進めて読み解けば、
「是非を論ずるな」
 ということなのかもしれないと、帰途の渋滞のなかで、つらつら考えた次第。
 つまりは、人間の数だけ「正義」と「悪」があるということか。
 同様に人間の数だけ「幸福」と「不幸」がある。
 問題は、ここからどういう結論を導いていくか。
 坊さんは、一気に飛躍して教義を展開する。
 だから、いまひとつ腑に落ちてこない。
「しゃべる」
 というのは難しいものだ。
 週刊誌記者時代によく経験したが、取材相手が百万言を費やしながら、結局、何を言っているのかわからないことがある。
 言葉は少ないほうがいい。
「寸鉄、人を刺す」
 と言うが、言葉はレーザー照射のごどくピンポイントで相手を腑に落とすべきだろう。
 禅宗の言葉が心に響くのは、そういうことではないかと、これもつらつら考えることである。
 明日、「上司と部下」というテーマで、週刊誌の記者が取材に来る。
 レーザー照射のピンポイントを心がけてみるか。
 

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