歳時記

畑の草むしりで考える

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 何やかやと忙しく、気がついたら3日間、ブログの更新をしていなかった。
 時間が経つのは早いものだ。
 早いところトマトを植えなければならない。
「明日、明日」
 と先延ばしにしていたのでは、時期を逸してしまうではないか。
 それで今朝、取り急ぎトマトを植えに行った次第。 
 昨日の雨で、草が元気だ。
 愚妻がトマトを植え、私は草むしり。
 それにしても、雑草の何と元気なことか。
「雑草のごとくたくましく生きる」
 という言葉があるが、まさに腑に落ちてこのことをさとった。
 言い換えれば、畑をつくったことのない人間には、この言葉のもつ意味は観念的で、いかに雑草がたくましいものであるか、実感としてはわからないだろう。
 「腑に落ちてわかる」とは「体験」なのだ。
 体験なくして「わかる」は所詮、観念の世界ということなのである。
 だが、生きる時間は限られている。
 長くも短い人生で「体験」できることは、そう多くない。
 ということは、わかったつもりになって、実際はわからないままで一生を終えていくということになる。
『心得たと思うは心得ぬなり 心得ぬと思うは心得たるなり』
 という蓮如の言葉は、実はこのことを言っているのではないかと、畑で草をむしりつつ考えたのである。

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