歳時記

民主主義の陥穽(かんせい)

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 JR福知山線脱線事故で、JR西日本の歴代3社長が強制起訴され、経営トップの刑事責任が法廷で裁かれる。
 このニュースを聞いて、
(総理はなぜ、〝失政〟において、罪を問われないのか?)
 という疑問を抱いた。
 もちろん政治は、刑事事件のように単純に〝白黒〟がつけられないが、政権維持のためにデタラメ政治をやろうとも、政界を引退したら誰もその罪を問わない。
 まして、JR西日本のように、さかのぼって歴代首相の罪が裁かれることはない。
 これって、何だかヘンじゃないか?
 
 たとえば自民党が、いまの国民生活を憂(うれ)うなら、
「これまで、だれが政治を行ってきたのか」
 という責任の所在をあきらかにするべきだろう。
 民主党も、幸せな国をつくるというなら、それが実現できないときは誰がどう責任を取るのか、ハッキリ言わなければなるまい。
「辞任」だ「総辞職」だというのは、トンズラと同義語なのである。
 もちろん政治の評価は、歴史においてなされなけばならない。
 だから、たとえば10年なり20年なり一定期間をおいて、かの〝仕分け〟のごとく政治評価をしたらどうか。
 そして「有罪」となれば、相応の罰を与えるのだ。
 そうとなれば、政権維持のための悪政は少しは減ることだろう。
 だが、そんな意見を口にすると、政治家はきっとこう言うに違いない。
「悪徳といえども、そういう政治家を投票で選んだのは国民ですからな。罰を与えられるべきは国民ではござらんか?」
 民主主義を逆手にとれば、いかようにも言い抜けできるのだ。
 
 

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