「上達するには反復練習!」
道場で小学生たちに檄を飛ばしたところが、
「……」
反応がイマイチ。
そこで、
「反復練習だぞ! わかったのか!」
さらに声を張りあげてみたが、
「はい……」
どうにも反応が鈍い。
と、ふと疑念がよぎり、
「キミら、反復練習の意味がわかっているか?」
問いかけてみると、
「半分練習……」
一人が自信なげに口を開き、みんながそれに同調してうなずいている。
《反復》を《半分》と理解しているのだ。
これには私も狼狽して、
「キミら、反復の意味を知らないのか?」
「知ってる」
「半分という意味でしょう?」
どうりで話が通じないはずである。
そこで白板に《反復練習》と書き、その隣に《反復横跳び》と書いて、
「反復横跳びと同じ〝反復〟。これは繰り返すという意味で……」
と説明し、子供たちは納得した。
このとき、
《人を見て法を説く》
ということを再認識しつつ、
(しかし、人を見て法を説くには、まず〝人〟を知らなければなるまい)
と思った。
同じ仏法を説く場合、サラリーマンとフリーターとでは説き方を変えたほうが、相手はより深く理解できるだろうが、そのためにはサラリーマンのこともフリーターのことも知らねばなるまい。
すなわち、
《人を見て法を説く》
とは、
《人を知らずして法を説くべからず》
という逆説になる。
昨日、麻生総理が経済政策を発表した。
総理の言葉は空虚で、説得力に欠けた、
なぜだろうと考えていて、その意味がわかった。
国民の心情を知らずして、経済政策を説いたからである。
続・子供に檄を飛ばしてみると……
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