歳時記

電車の「優先席」を見て考える

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 都内に出るときは、いつもクルマを運転していくのだが、昨日は気まぐれで電車に乗った。
 席が空いていると思ったら「優先席」だった。
 優先席としてシルバーシートが登場したとき、いよいよ日本も社会のコンセンサスとして、思いやりの時代に入ったものと感心したことを覚えている。
 だが最近は、優先席に対して、少し考え方が変わってきた。
 老人や妊婦、身体にハンデを持っている人に席を譲るのは、人間として当然のことなのだ。それをわざわざ「優先席」として設置しなければならないということは、席を譲る人が少なくなったということになる。
「優先席」のある社会は健全なのだろうか?
 あるいは「挨拶」。
「挨拶をしましょう」
 という子供たちに対する教育は、言い換えれば、子供たちが挨拶をしなくなったということだ。
 挨拶するのは当たり前のことではないか。
 その当たり前のことが〝挨拶運動〟になるということは、家庭における躾(しつけ)の崩壊を象徴しているように、私は思える。
 なぜなら躾とは、社会規範を教え込むことだ。
 挨拶するのに理屈はない。
 社会人として、挨拶はするものなのだ。
 ところが価値観の多様化によって、躾に理屈を持ち込むようになった。
 躾は理屈で説明できないから、親は無意識に躾を敬遠するようになった。
 その行き着く先が、
「どうして人を殺しちゃいけないの?」
 この質問に、親は戸惑う。
 だが、親は気づいていないだろうが、戸惑いの本質は「問い自体」にあるのではない。「そんな問い」を発する子供の価値観に戸惑っているのである。
「オレだって電車賃を払っているんだ。なんで年寄りに席を譲らなくちゃならないんだ」
 こんな屁理屈をこねる子供にしてはならない。
「お年寄りには席を譲るものだ」
 理屈を超えて叩き込む。
 これが躾だと私は考えるのである。

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