歳時記

詩を吟じて、人生を知る

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 月に一、二度のペースで、詩吟サークルに通っている。
 ちっとも上達しないが、詩に魅せられている。
 たとえば、
《風は過ぐるも、浮雲(ふうん)一片(いっぺん)の跡(あと)あり》
 これは一休宗純の『客中(きゃくちゅう)』という詩の一節で、意味は、
「空を吹く風すらも、吹いたあとには、ひとひらの浮き雲を残してその足跡とする。しかし、一所不在をこととして定所のない私には、足跡さえ残らない」
 宗純は〝トンチの一休さん〟として知られるが、権威を否定し、悟りさえも否定して、壮絶に庶民の中で生き抜いた禅僧らしい詩で、私のお気に入りの一つである。
 その一方――。
 すでに故人になられたが、ある人が、
「生きることに意味はない。名は残る」
 と、私におっしゃったことがある。
 一休宗純の対極とも言うべき壮絶な人生観で、それだけに自己を厳しく律し、男らしく、メンツというものを大切にされた。
 一休と、その方と、どっちの人生が素晴らしいか、私にはわからない。
 いや、どっちの人生を選び取るかが、すなわち「人生観」なのだろう。
 私とは言えば、時に、
「風は過ぐるも、浮雲一片の跡あり」
 と嘯(うそぶ)いたかと思うと一転、
「生きることに意味はない。名は残る」
 と、大まじめで言ってみたり。
 節操のないこと、おびただしいのである。
 だが、君子は豹変するがごとく、「節操のなさ」もまた「節操」なのだ。
 いみじくも良寛が人生五十年を振り返り、『半夜(はんや)』という詩の中で、こう喝破している。
《人間(じんかん)の是非は、一夢(いちむ)の中(うち)》
 意味は、
「人間社会のことは、是も非も、すべて夢のなかのことのように思われる」
 詩吟の素晴らしさは、こうした詩を腹の底から吟じ、人生を感ずるところにあるのだ。
 詩吟をお勧めする所以(ゆえん)である。 

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