歳時記

時間の逆転発想で、暇はいくらでもつくれる

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 私は保護司をやっている関係で、地元中学校から、卒業式と入学式の案内を頂戴するが、今年はどちらも出席できなかった。と言うのもすでに3ヶ月前、沖縄行きの予定を入れ、チケット類を手配していたからである。
 卒業式も入学式も楽しみにしていたのに、その日程を考慮せず、沖縄行きの予定を入れたことを後悔したが、時すでに遅しである。
 空手と古武道の稽古に、毎月、沖縄・文武館総本部道場に通い始めて6年になるが、私は原則として、3ヶ月前に沖縄行きの日程を入れる。理由は、空手も古武道も、仕事や公的行事に比べてプライオリティ(優先順位)が低いからである。
 では、なぜプライオリティが低いものを優先するかと言えば、それらはどうしても後回しになってしまうからだ。
「時間ができたらやろう」「ヒマになったらやろう」――と思う。
 だが、仕事をこなすのでさえ、時間が足りないのだ。これに諸行事や雑用が加わり、時間は慢性的に足りない。社会生活を営む以上、人間は誰も永遠にヒマにはならないのである。
 とすれば、「時間ができてらやろう」「ヒマになったらやろう」は論理矛盾することになる。
 だから、先に時間を取るのだ。
「やらなければいけないこと」だから時間を取るのではなく、「やらなくてもいいこと」だから時間を強引に先取りするのだ。いわば〝人生の天引き時間〟にするのである。
 そして、残った時間を仕事など「やらなければいけないこと」にあてる。やらなければいけないことだから、どうでもこうでもやり遂げる。かくして趣味も仕事も両立するというわけである。
 多くの人はそこを勘違いして、「やらなければいけないこと」から日程や時間配分を考える。
 だが、それは間違いなのなのだ。
 時間が足りないからこそ、「不要」なことを最優先すべきなのだ。
 そうしない限り、「ヒマ」は永遠にやってこないのである。

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