歳時記

石破大臣の答弁に見る「謝り方」

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 石破防衛大臣が、いよいよ辞任の瀬戸際に立たされた。
 イージス艦「あたご」の衝突事故の一報を受け、登庁がその1時間半後。
「事故の第一報が遅い!」
 と怒った、その張本人がこれでは、申し開きはできまい。
 尊い親子の命が奪われたのだ。
 最高指揮官として辞任は当然だろう。
 だが事故当初、私は石破大臣には好感を持っていた。
 懇切丁寧な説明に《誠意》を感じたからである。
 ところが、防衛省の〝隠蔽工作〟と体質が露呈するに及んで、この「懇切丁寧な説明」が逆効果になってきた。
「結果論となるが、海保の了解を得ず乗組員の聴取を行っていたことは、内部的な調査であったとしても、必ずしも適切ではなかった」
「組織の中で起こったことはトップが責任を取るのが原則だ。それをどう両立させるかということは、落ち着いて考えてみないといけない」
 だから、何がどうしたってんだ――とイラついてくる。
 ここにアヤがある。
 つまり、フォローの風が吹いているときは「懇切丁寧な説明」が第三者には《誠意》と写り、アゲインストのときは《逃げ》に見えるということなのである。
 だから石破大臣は、防衛省と自身にアゲイントスの風が吹き始めたと察知したなら、言葉は短く、率直に、そして毅然と言い切るべきだった。
「間違っていました」
 これでいいにもかかわらず、
「必ずしも適切ではなかった」
 などと回りくどい言い方をするから〝逃げ〟と見られるのである。
 我々だって同じで、ドジを踏んだときは、
「私のミスです」
 スパッと謝ることだ。
 謝れば、今度は「謝られた側」が意思表示をしなければならない。
 責任を取らせるのか、厳重注意にするのか、不問にするのか――。
 謝るという行為は、相手にボールを投げ返すことなのだ。
 ところが、なかなかボールを放したがらない。
「必ずしも私が職責をまっとうしたとは言い難い面もなきにしもあらずであろうという非難は、私もじゅうぶん承知しているところでございます」
 こんな言い方をすれば、〝火に油〟になってしまうのである。
 人生に失敗はつきものだ。
 だから誰もが失敗する。
 大事なのは、失敗したことにどう対処するか――人生の明暗はここで分かれるのだ。

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