頭が汗臭いと、愚妻が顔をしかめた。
昨日、菜の花を見に川村記念美術館に行き、庭園内のレストランで昼食をとっていたときのことだ。
頭髪がないので、食事をしたときなど、ちょっとしたことで頭に汗をかき、それがストレートに流れ落ちてくるのだ。
愚妻は、私を攻撃するときはオーバーな表現をするので、汗のニオイもたいしたことはないと思うが、一応、対処すべきだろう。
で、帰宅するや、さっそく香りのついたウェットティッシュと脂取り紙を買ってこさせ、バックに入れて持ち歩けるようにしたのである。
しかし、私の心中は複雑である。
頭を剃ることによって、整髪という煩(わずら)わしさから解放されたはずなのに、剃ったゆえに新たな手間が生じたのである。
このブログを書きながら、いま唐突に『あざみの歌』の歌詞が脳裏をよぎった。
「山には山の 愁(うれ)いあり」
そうだ。
愚直に突っ立っている山でさえ、心痛があるのだ。
いわんや人間においておや。
頭髪があればあったで〝愁い〟があり、薄くなればもっと愁い、剃れば剃ったで愁いがある。
人生、なかなか都合よくいかないものだと、ひとり納得しているところなのである。
スキンヘッドと汗のニオイ
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