今日は朝から雨だ。
昼に都内に出かける用事があり、どの程度の雨が降っているのか、ひょいと庭に目をやって、
「おっ!」
キュウリが元気よく葉っぱを広げているではないか。
「おい、キュウリが成っているかもしれんぞ!」
愚妻に大声で告げると、
「ちょっと、毎日、食べてるじゃないの」
そう言えば、このところキューリがよく食卓に乗るとは思っていた。
「昨日のナスもそうか?」
「あれは買ったやつよ」
そして、
「まったく家のことは何でもかんでも無関心なんだから。うちの子たちのオシメを取り替えたことあるの? 引越しのときはいつも家にいないし」
例によって話は無節操に広がり、昔のことを蒸し返して非難する。
癪なので、
「バカ者。男が家庭にかまけていて天下の大事が成せるか!」
一喝したら、
「あっ、そう。で、あなたは天下のどんな大事を成したの?」
「これからだ」
「どうでもいいけど、早くしないと、お浄土が近いんじゃないの」
もともと口の減らない女だったが、晩年に至ってますます磨きがかかってきたようである。
が、しかし、「天下の大事」どころか、「足下の大事」すら成すことは叶わない。
「少年老い易く、学なり難し」
とは、うまいことを言ったもんだ。
そう言えば、かの良寛さんにこんな言葉がある。
「辛苦。虎を描いて猫にも成らず」
ついでながら、上杉謙信はこんな歌を詠んでいる。
「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」
「一睡の夢」の「夢」がポイント。
「儚(はかな)い」という字は、「人」に「夢」と書く。
夢をいだき、虎を目指して猫にも成らず、儚く一生を終えるのが人間ということ。
もっと言えば、夢をいだくのは人間だけで、サルやキツネに「夢」はないし、まして法螺(ほら)を吹くことなど絶対にない。
夢もよし、法螺もよし。
どちらも人間の証なのだ。