歳時記

人生の〝ヘッドアップ〟

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 昨日、友人の葬儀があった。
「54歳の若さ」
 と、私は弔辞で読んだ。
 弔辞は、通夜のあと帰宅して書いた。
(いずれ私も逝く。人間の死は、早いか遅いかだけだ)
 という思いにうなずきながら、「いずれ」と考えている自分に気づき、愕然とした。
(明日も生きている)
 そう信じて疑わない自分が、そこに在(あ)る。
(人間は必ず死ぬんだけど、まだ先だな)
 そんな楽観がある。
 僧籍を得たといっても、その程度の自分であることに、忸怩(じくじ)たる思いがした。
《明日ありと、思う心の徒桜(あだざくら)、夜半に嵐の吹かぬものかは》
 これは浄土真宗開祖・親鸞聖人のよく知られた歌で、「明日」を恃(たの)むことの愚かさを厳しく戒めている。
 私もこの言葉に深く感じ入り、いかに「今日」を生きるかを考えるようになった。
 いや、なったはずだった。
 それが、いかに浅い覚悟であったかを、友人の死は私に教えてくれた。
 仏教における時間の概念は、「不連続の現在でしかない」と、先日、京都で行われた勉強会で改めて教わった。
 過去は、「現在から見て過ぎ去った時間」、未来は「現在から見て未(いま)だ来たらぬ時間」。すなわち、すべては「現在に内包される」というわけである。
 しかる私たちは、決して戻ることのできない過去にとらわれ、実態のない未来を恃(たの)みとする。
 過去の追憶が悪いというのではない。
 未来を思い描くことが悪いというのでもない。
 過去と未来に目がいくことによって、本来、もっとも大切にすべき「現在」を忘れがちになってしまうということが問題なのだろうと、これは私の勝手な解釈である。
「ヘッドアップするな」
 20代の一時期、私がゴルフをやっていたときに、レッスンプロによく言われた。
 結果を早く知りたいという気持ちがヘッドアップさせるのだ。
 教員採用試験の合否の結果を、発表前に知らせたとする事件がさかんに報道されているが、これも、結果を早く知りたいという〝ヘッドアップ〟の心理が根底にある。
 人生も同様で、早く結果を知りたいと気持ちがあせる。
 ハッピーな人生になるのか、それとも不本意な結果に終わるのか。
 若い人ほど占いに興味を持つと言われるが、彼らが占いに惹(ひ)かれるのは、ゴルフで言えば1番ホールに立ってティーショトを放ったようなもので、球の行方を追ってヘッドアップする。それが占いに惹かれる理由だと私は思う。
 しかし、いまこの瞬間のショットを抜きにして、ボールの行方を追うのは本末転倒だ。
 いかに、しっかりと打ち切るか。
 すなわち「現在」をいかに生き切るか。
 ここを疎(おろそ)かにしてはなるまい。
「ヘッドアップするな」
 改めて私は自分に言い聞かせるのである。 

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