歳時記

親子の絆と「共通の目標」

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 空手を習わせる親御さんの多くは、
「もっとしっかりさせたいから」
 と、その動機をおっしゃる。
 実際、空手を長く続けていれば、精神的にしっかりしてくる。
 なぜなら、野球やサッカーのような「ゲーム」とは違って空手は「格闘」であり、本能的な恐怖があるからだ。
 しかも試合では、人前で「強い」「弱い」という〝原始的な優劣〟を競わなければならない。
 この恐怖とプレッシャーを克服し、空手の稽古を継続するには、子供なりに自己との葛藤がある。
 この葛藤が、精神力を養うのだと私は考えている。
 だから、我が子に空手を習わせようとする親御さんの動機は間違っていない。
 ただ、しつけや子育てということから考えれば、親御さんに勘違いがあるように思う。
 空手に限らず、何か習い事をさせれば我が子が成長する、と思っているのではないか。
 つまり、「親御さんは何もしないで、じっと突っ立たままでいる」ということである。
 これでは、ダメだと私は思う。
 こんな例はどうか。
 私の道場には、親子で稽古に来ている人が何人かいる。
 夏の試合前、そのなかの一人の子供が、自分の試合のことよりも、親子による演舞競技のほうを心待ちにしていた。
「パパと出るんだ」
 と、ニコニコして私に言うのである。
 この父子は稽古時間は別々である。
 しかし「パパと一緒に空手をやっている」という「目標を共有すること」で、親子の距離はうんと縮まっているのである。
 ここに、親子関係をめぐる解答があるように思う。
 子供のしつけに関心の深い親御さんは、
「休みの日は、できるだけ子供と一緒に遊ぶようにしています」
 とおっしゃる。
 これはとても素晴らしいことだと思う。
 
 しかし、「遊び」は遊びなのだ。
 共通の「目標」と「価値観」を持ち、それむけて親子がある時期、一緒に努力するということこそ大事なのではないだろうか。
「目標」とか「価値観」というと漠然とし過ぎると思い、空手を一例に引いた次第。
 ついでに言っておけば、空手など武道は年長者を敬ってくれる。
 いい大人が、いまさら子供と一緒に野球やサッカーでもあるまい。
 空手は生涯武道であり、ここに素晴らしさがあると、我田引水しつつ思うのである。
 

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