歳時記

夏は暑いのだ

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あれは高校一年生の夏のことである。

「暑チチチチ」
と言ったら、担任の中年男性教師に、
「日本の夏は暑いに決まっておる!」

一喝され、
(なるほど)
と感心した。

これが、その後の私の生き方に大きく影響を与えたのではないかと、最近になって思うのである。

「寒い? 冬は寒いに決まっている」
「疲れた? 稽古すれば疲れるに決まっている」
「眠い? 寝ればいいだろう」
「仕事をしたくない? しなけりゃいいだろう」

バッサリと斬って落とす。

「仕事はしたくないが、しなくちゃならない」
という矛盾と葛藤がこの言葉の本質だが、それを許容しない。

つまり、白か黒かで割り切り、灰色を認めない価値観である。

白と黒との間で気持ちが揺れ動き、灰色になってしまうのが人間で、浄土真宗の教義はこの弱さと迷いを認めることに立脚するのだが、よくよく考えてみれば、灰色でいられることは強者ではないのか。

灰色でいることを許容できないから、白か黒かで割り切ろうとする。

そうだ、私は弱者なのだ。

「おい、わしは弱い人間であることに気がついたぞ」

昨日、法務から帰宅してそのことを愚妻に告げると、
「冗談でしょ。勝手なことばかりしておいて」

口の端をつり上げて冷笑する。

「いや、弱いのだ」
「あっ、そ。わかたわよ、弱いのね」
「何だ、その言い方は!」
「ほら、怒ってるじゃないの。どこが弱いのよ!」

逆襲してくるのだ。

七月も今日で終わり。
まだまだ暑い日が続く。
昨日の法務は墓前で、頭から流れ落ちる汗が目に染みた。
そうだ、日本の夏は暑いに決まっているのだ。
暑い、暑いと言うのはみっともないことだと、改めて思うのである。

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