歳時記

「状況が変わった」という重宝な言葉

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 ガソリンの小売価格が続落していると、ニュースで報じていた。
 結構なことだと思う一方、ガソリン価格高騰で悲鳴をあげたのはついこの間のこと。
 経済評論家とかアナリストといった肩書きの人がテレビに登場して、
「今年の年末には200円を超えるでしょう」
 と、したり顔でご託宣を述べ、我ら庶民の不安をあおった。
 これに対して、私はいささかの腹立たしさを覚えるのだ。
 200円どころか、100円を割ろうとしているではないか。
「いや、スマン。わしの予想が間違っておった」
 と頭のひとつも下げればまだしも、彼らはこんな能書きを言って自己正当化している。
「景気減速にともない、投機マネーが石油からいっせいに引き上げ……」
 要するに、予測がハズレたのではなくて、「経済状況が変わったせいだ」と居直っているのである。
 これなら、経済オンチの私にだって〝評論〟も〝予測〟もできる。
「エー、世界経済の回復は当分見込めそうもありませんので、ガソリン価格の下落はまだまだ続くと見ていいでしょう。リーター50円になっても、私は驚きませんね」
 それでもしガソリン価格が再び高騰すれば、
「懸念はしていたんですがねェ。経済状況がガラリと変わってしまいましたね。いまの状況では、リーター300円になっても私は驚きませんね」
「状況の変化」という言葉を枕に振れば、何だっていえるし、何だって言い逃れできるのである。
 そういえば麻生総理が、さかんに「状況が変わった」ということを口にしている。
 就任当初、早期解散するつもりが、支持率急落で解散できなくなって、その言い訳が、
「状況が変わった」
 小泉改革路線に対しても、
「当時とは状況が変わった」
 もちろん、状況によって柔軟に対応することは大切だ。
 だが、「柔軟な対応」は当面の手段であり、根っこは絶対に変節してはなるまい。樹木と同じで、葉っぱは紅葉したり落葉したりするが、根がしっかり張っているから四季を生き続けられるのである。
 政治家にとって根っこは何かと言えば、「国民のために」という大原則だ。
 ところが、麻生総理にはそれがない。
 ないように思えてしまう。
 だから信頼がないのである。
 私たちも同じだ。
「確かに、そう約束したよ。だけど、あのときと状況が変わったんだ」
 こんな変節漢になってはならない。
 だが視点を変えるなら、前言を翻(ひるがえ)すには、重宝な言葉であることもまた、事実なのである。
「もうしわけない。しかし、あのときと状況が変わって……」
 誠意をもって変節すれば、それは変節漢とは呼ばれまい。
 すなわち言葉は、「態度」によって、是にもなれば非にもなる。
 これが、メールでは及ばない〝会話の妙〟というやつなのである。

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