歳時記

「大きさ」の持つ心理効果

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地球儀を買った。
以前、大きな地球儀を持っていたのだが、どこかへ行ってしまった。

あれだけ大きなものが見当たらないということは、たぶん邪魔だからということで処分したのだろう。

だから今度は卓上サイズの小さなものを買った。
ロマンがくすぐられ、私は地図や地球儀が大好きなのだ。

だが、リアリストの愚妻にはそこがわからない。

アマゾンで包みが配達され、私が梱包を解いて地球儀を取りだすと、
「ちょっと、そんなものどうするのよ」
あからさまに眉をひそめる。

「見ろ」
私が言う。

「ここが北朝鮮だ。ミサイルを発射して着水したのがこのあたりだ」
「あら、そうなの」
「ウム。そして、ここがアメリカ。北朝鮮のミサイルは太平洋を飛翔するのではなく、カムチャックの上空を越えていくのだ」
「近いわね」
「だからアメリガが神経をとがらせるのだ」

「そして」」
地球儀を廻しながら講義する。
「パリに行ったときの飛行コースがこれで、ここがウクナイナだ」
「ヨーロッパってごちゃごちゃしているわね」

即物的なことを言うが、ひそめた眉はどこへやら。
地球儀に興味を惹かれているのである。

コロナ禍と老いで海外旅行はすっかり興味が失せたが、こうして地球儀を眺めるのは楽しいものだ。

だが不思議なもので、大きな地球儀だとロマンがかき立てられるが、卓上サイズの小さなものだと、
「狭い地球、戦争して何になる」
そんな思いがこみあげてくる。

そう考えると、六畳一間のアパートで暮らす人生と、大豪邸で暮らすそれとでは人生観が違ってくるのではないか。

体格もしかり。

ミニカーとリムジンもしかり。

ならば、描く夢もそうかもしれない。
でっかい夢を描く人と、ちまちました夢を描く人では、人間としての器が違ってくるだろう。

地球儀を眺めながら、「大きさ」の持つ心理効果について、あれこれ考えをめぐらせるのである。

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