歳時記

愚妻の「根拠なき自信」

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いやいは昨日も、湯船のフタを忘れてしまった。
換気のスイッチはちゃんと入れているし、浴室のドアも閉めている。

実を言うと、浴室のドアを閉めるとき、過日、閉め忘れて愚妻に怒られたことを思い浮かべ、
(今夜は閉めておるわい)
ニンマリとしたのである。

それなのに、
「ちょっと、また閉め忘れているわよ!」

愚妻の怒声に、
(ナヌ?)
まさか、である。
今夜は閉めたとニンマリとしたばかりではないか。

ボケか?
いや、後遺症だ。
コロナの後遺症に違いない。

愚妻に抗弁するが、もちろん納得するはずがなく、
「いつもといっしょでしょ!」
一刀両断である。

私が発症したとき、無防備の愚妻は確実に感染しているはずだ。
しかし、発症しない。

そのことを指摘すると、愚妻は低い鼻を高くして得意顔で言う。
「私が発症なんかするわけないでしょ」

なるほど、人間はこうでなくてはならないということか。

「強くなくたっていい、いまのあなたでいい」
と教えるのが浄土真宗だが、愚妻の根拠のない自信に満ちた顔を見ていると、我が連れ合いながら、とても真宗の教義は伝わるまいと思うのである。

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