歳時記

子育てとしつけの「本質」

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ネットで「子供の叱り方」「誉め方」といったワードで検索すると、ズラズラと記事や投稿が出ている。

試しに読んでみると、

《目を見て叱る時は目線を低くして、子供と目線の高さを合わせて叱るようにしてください。大人が頭から上より話しかけると、威圧感を感じてしまいます》

こんなことまで考えて叱らなければならないのか。

《「怒る」と「叱る」で子供は変わる》
なんてのもある。

(これじゃ、子育てノイローゼになるはずだ)
と感心してしまう。

私は動物番組が大好きでよくテレビを観るが、
「いかに我が子を育てるか」
と頭を悩ませているのは人間だけである。

日本が貧しかった時代、子だくさんだった時代、そんな悩みは希薄だった。
生きるのに精一杯で、それどころではなかった。

だが、
「いかに育てるか」
と頭を悩ませなくても、立派な人間に育つ者は育ち、それが今日の日本をつくりあげたではないか。

子育てやしつけなんてのは、親が確固たる人生観を持ち、それにしたがって叱り、怒り、誉めればいいのだ。

私は、私の娘が小学生のころ、こう言ったものだ。
「おまえに小遣いをやりたいのだが、やる理由がないのだ。何か理由はないか?」
娘が当惑していたのをいまも覚えている。

子育てやしつけの対象は、実は「親自身」なのだ。
親が生き方や人生観を我が身に問うことなのだ。
空手の稽古でいつも思うのは、指導する相手は「子供」ではなく、指導者である「自分」なのだ。

そう考えると、
《目を見て叱る時は目線を低くして、子供と目線の高さを合わせて叱るようにしてください》
などとノンキなことは言ってはいられまい。

意外に親御さんたちは気づいていないが、子育てやしつけの悩みの本質は「自分の生き方」に対する悩みであり、その悩みを子育てやしつけの方法論に転嫁しているだけなのである。

だから解決しない。
頭がこんがらがってくるのは当然なのだ。

整理し、統合せよ。
何事においても、糸がもつれたときの基本である。

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