歳時記

平凡をもって最上とする

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「Go To キャンペーン」の雲行きがあやしくなってきた。

「時期尚早」「全国一律はいかがなものか」と地方自治体の首長は批判し、メディアもその論調になっているが、政府は、
「絶対やる」
と、くり返している。

政府もここで腰砕けになれば、そのことを批判される。
実施して、コロナ感染者が急増すれば、やっぱり批判される。
なにもしなければ、無策と批判される。

つまり、政府や知事は何をやっても批判される。

釈迦は言う。
「沈黙しても批判され、多く語っても批判され、少し語っても批判される。この世に批判されない者はない」

大臣や知事を擁護しているのではない。
何をやっても、やらなくても、間違いなく批判される立場に、
「なぜ、なりたがるのか」
ということが私には不思議なのである。

逮捕された河井夫婦のように、カネをばらまいてまで議員になりたがる神経がよくわらない。
卑屈なまでに有権者に腰を折って、当選したがる神経がよくわからない。

「国民のため、国のため」
という気概を持って立つならわかるが、もちろんそうは見えない。

権力欲に取り憑かれているのだろうし、権力に魅力があることはわかる。

だけど、私のような怠け者から見れば、たとえば安部総理や小池知事をテレビで見るにつけ、
「あの人たち、何が面白くて政治家やっているのだろう」
と、首を傾げてしまうのである。

愚妻は昨夜もせっせと手作りマスクを工夫してつくっている。
私は、クルマの電動ウィンドウの調子が悪く、この梅雨空に気を揉んでいる。
何てことのない日常だが、平々凡々の日々が過ごせたなら「最上の人生」だと思っている。

「平凡な人生」というとネガティブにとらえられがちだが、とんでもない。
一寸先がわからない人生において、平凡であることは、意志と努力を超越した僥倖なのである。

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