歳時記

「私は悪くない」という主張

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 マレーシアの金正男暗殺事件も、国有地払い下げの森友問題も、「ああ言えば、こう言う」で、言葉は重宝なものだと、改めて感じる。
 わが家の愚妻など特にそうだが、
「私が悪うござんした」
 と、非を認める謝罪の言葉など、とんと聞かなくなった。
 これは、いわゆる「価値観の多様化」と「個の尊重」、さらに「新旧価値観の相違」が背景にあるのだろう。
「あんたは間違っておる」
 と非難する尺度がなくなってきたのだ。
「あんたは間違っておる」
 と言おうものなら、
「それって、旧い価値観!」
 たちまち噛みつかれてしまう。
 そう言えば先日、
「こら、腰を落とせ!」
 稽古中に小学校高学年の女子を怒鳴りつけたら、
「あっ、館長、それってパワハラだよ」
 私をカラかっているのはわかるが、何だかイヤな世のなかになってきたもんじゃないか。
 子供も大人も、主張だけは口達者になってきたが、
「私が悪うござんした」
 と、素直に非を認めることがなくなってきた。
 盗人にさえ三分の理があるのだ。
 居直れば、誰だって「言い分」はあり、
「だから、私は悪くない」
 という主張になる。
 それで、ホントにいいのか?

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