歳時記

ホメられると、足がシビレるのだ

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 仕事部屋に来たときは、かならず寄る店がある。
 魚料理屋で、安くて、うまい魚を食わせてくれる。
 座敷にテーブルが八つほどあって、おばちゃんが四、五人ほど働いている。
 みなさん気さくで、楽しい店なのだ。
 で、昨夜も行った。
「私はヒレ酒」
 愚妻が迷わず言い、私は少し迷ってから、
「ノンアルコールのビールを」
 と告げる。
 少し迷ったのは、ほかでもない。
 元呑んベェとしては、ノンアルコールという〝代用ビール〟を潔(いさぎよ)しとしないからだ。
 だが、熱いお茶で刺身を食べるのは、
(なんだかなァ)
 という思いもあって、ノンアルコールを頼んだところが、
「はいよ。ノンビーね」
 と、オバちゃんが言ったのである。
「へぇ、ノンアルコールビールはノンビーって言うの?」
 私が驚くと、
「ほかに言い方があるの?」
 ああ言えばこう言うで、まるで愚妻のような口調であった。
 それにしても、「ノンビー」とは、何とも響きのいい言葉ではないか。
(よし、これからはノンビーを愛飲しよう)
 と、このとき決めたのである。
 そして、
「よっこいしょ」
 と正座した。
 冬の稽古は、立っているだけで腰に負担がくるため腰が痛い。
 腰痛には正座が楽なのだ。
 正座し、ノンビーをチビリとやり始めところで、〝ノンビー〟のオバちゃんが刺身を運んできて、
「あら、ご主人、姿勢がいいわねぇ」
 と感心の声である。
「いや、ま、アッハハ」
 と笑ったものの、もはや足を崩すわけにいかない。
 ときとぎ足を組み替えつつ、我慢である。
「ちょっと、いい加減にしなさいよ。足が痛くなるわよ」
 愚妻が余計なことを言うが、男は黙ってヤセ我慢したのである。
 店を出てから、足をひきずる私に愚妻が悪態をつく。
「だから言ったでしょ。ちょっとホメられただけで、すぐその気になるのは、あなたの悪いクセだわよ」
 わかっている。
 確かに私の悪いクセだ。
 だが、そうやってヤセ我慢しながらこれまで生きてきたのだ。
「いまさら性格が変わるわけがない」
 と、つぶやきつつ、ホメられること怖さをしみじみと悟ったのである。

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