歳時記

光陰は矢の如し

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 私は「一休さん」が好きだ。
 そう、トンチで知られる一休さんだ。
 良寛さん、親鸞さんの教えについては本にしたので、次は一休さんを書きたいのだが、出版社のノリが悪い。
 トンチのイメージが強すぎるせいだろうか。
「一休さんの人生論に読者が興味を持ちますかねぇ」
 と、編集者たちは一様に渋い顔をする。
「何を言うか、一休さんの言葉は人間の本質をついて面白いのだ」
 と、これは声に出さず、心のなかでつぶやく。
 渋い顔をする人間を説得するほど、私は親切ではないのだ。
 一休さんの言葉はおもしろい。
『生まれては、死ぬるなり。釈迦も達磨も、猫も杓子も』
『世のなかは、食うて糞して寝て起きて、さて、その後は、死ぬるばかりよ』
「人生の無常」を大上段から袈裟懸けに斬り落として、
(ウーム)
 と、腕組みをして唸らずにはいられないほど、見事ではないか。
 ちなみに一休さんは「一休宗純(そうじゅん)」と言い、室町時代の臨済宗大徳寺派の禅僧にして漢詩人である。
 しかも、出生地は京都で、後小松天皇の落胤(らくいん)とされる。
 この出自に、「トンチ」のイメージとはまったく違う一休さんの素顔が垣間見えるような気がする。
『今日ほめて 明日悪くいう人の口。泣くも笑うも ウソの世の中』
 と、人間の醜い心を抉(えぐ)り出す一方、
『仏と言うも、悟ると言うも、名は変われども、同じ道なり。我が本心を悟る人を、すなはち仏と名づくるなり』
 そんな言葉を吐く。
 私が僧籍を置く浄土真宗本願寺派の教義とはまったく異なるが、一休さんと、本願寺中興の祖である蓮如上人はとても仲がよかったとされ、こんな逸話がある。
 ある日のこと。一休さんが蓮如上人を訪ねると、蓮如上人は布教行脚に出かけて留守。それならと一休さん、蓮如上人の書斎にあった阿弥陀仏の立像を枕に、ごろりと昼寝を始めてしまったという。
 二人は、そういうつき合いだった。
 そんな先入観があるからだろうか。一休宗純は禅宗の高僧でありながら、私は何となく浄土真宗的な〝匂い〟をも嗅ぎ取るのである。
『正月は、冥土の旅の一里塚。めでたくもあり、めでたくもなし』
 と、一休宗純が詠んだ正月も、すでに27日が過ぎ去ろうとしている。
 光陰はまさに、矢の如の過ぎ去っていくのだ。
 

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