歳時記

便利は不便

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コロナ禍の感染拡大で世間は自粛ムードだが、なぜか私はバタバタと忙しい。
このブログの更新頻度を見れば、そのことがよくわかる。
毎朝、日帰り温泉に出かけていて、何が忙しいのかと問われると返答に窮するが、ま、忙しいのである。

外出から愚妻に連絡を取るとき、まずラインにかける。
出ないと次ぎにケータイである。
着信音が違うので、そうする。

それでも出ないと、最後は家電で、たいてい応答する。

「なぜケータイに出ない」
問いただすと、
「二階にいたからよ」
いま二階の電話を取ったのだと平然と言う。

「なぜケータイを身につけておかないのだ。持ち運ぶからケータイと言うのではないのか」
「面倒なのに、いちいち持って歩かないわよ」
これまた平然と言う。
まったくケータイ電話の用をなさないのである。

それで思い出したが、かつてケータイがなかった時代はよかった。
いくらでも連絡をシカトできる。
週刊誌記者時代なんか、特にそうだ。

ことに地方に出張したときなど、こちらから電話をしない限り、編集部から連絡の取りようがない。

飲み屋でドンチャンやって、翌日午前に電話をかけて、
「朝まで張りこんだけど帰ってきませんでした」
これでよかったのだ。

いまはそうはいかない。
便利は不便なのだ。
リモートで会議が簡単にできるようになったので、会議が増えたというボヤきをあちこちで聞く。

こう考えると、携帯携帯なのに携帯しないという愚妻の処し方は賢明なのかもしれない。
本人にそこまでの確たる自覚はもちろんないだろうが、私はそう思った。
便利にいかに背を向けるか、これからの課題である。

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