歳時記

「生類憐れみの令」考

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 今日、1月28日は、五代将軍・徳川綱吉が《生類憐れみの令》を出した日である。
《生類憐れみの令》とは犬、猫、鳥、さらに魚貝類、虫類などの生き物を殺した者は「死罪・遠島」の極刑を科すもの。
 ことに犬は、綱吉が戌(いぬ)年生まれであったことから特に保護され、綱吉は「犬公方(いぬくぼう)」との異名を取った。
 冗談ではなく、蚊、シラミ、ノミ、ハエを殺すことはもちろん、鳥も魚も卵も食べることを禁じたのである。
 事実、犬を殺して八丈島に流され、吹き矢でツバメを殺して死罪になっている。病気になった馬を遺棄しただけで、これも島流し。猫が江戸城の台所の井戸に落ちて死んだことから、気の毒にも台所頭が責任をとらさて八丈島に流罪になったり。
 いやはや、すさまじいものであった。
 では、《生類憐みの令》の目的は何なのか。
 一説によれば、綱吉の世継ぎ誕生を祈ったことにあると言われる。
 側室に生ませた長男が5歳で亡くなり、以後、綱吉は世継ぎに恵まれなかったのだが、その理由として、某寺の大僧正が、
「前世で殺生をした報いであり、綱吉は戌年生まれであることから、特に犬を大切にすべし」
 と助言したことによるとされる。
「アホなやっちゃ」
 と綱吉を嗤(わら)うのはたやすい。
 実際、アホな男である。
 だが、私たちもまた、綱吉と同じようなことをしていないだろうか。
 神仏に賽銭(さいせん)を放り込んで、合格祈願に家内安全、心願成就、無病息災・・・。
「いやいや、神仏に祈りたくもなるのは、人間の気持ちとして自然のことじゃないか」
 と言うなら、《生類憐みの令》を発令した綱吉を嗤うことはできまい。
 綱吉もまた世継ぎを望んでのことであり、「願掛け」という構造は同じなのである。
 《かなしきかなや道俗(どうぞく)の
  良時(りようじ)・吉日(きちにち)えらばしめ
  天神(てんじん)・地祇(じぎ)をあがめつつ
  卜占祭祀(ぼくせんさいし)つとめとす》
 これは親鸞聖人の御和讃で、
「悲しいことに、僧侶も在家の人々も、日時の善(よ)し悪しを選ぶことをすすめたり、天地の神々を崇(あが)めて、仏を崇めることを忘れている。占いや祈祷(きとう)を頼りとし、福を求めようとするとは」
 という意味で、当時の仏教は、加持祈祷によって病気を治したり、豊作をもたらしたり、災厄を消除したりするなど、現世利益(げんぜりやく)をもたらすものだと思われていた。
 それに対して親鸞は、加持祈祷は断じて釈迦の教えではないと説いたのである。
 すなわち、
「占いや超能力は命の〝よりどころ〟にはならず、そんなものに頼って現世利益を求める生き方をしていると、自分を見失い、不幸な一生を送ることになるぞ」
 というわけである。
 今朝9時に、我が家の駄犬「マック爺さん」のトリミングを予約していると愚妻が言う。
 丸々と太って、マック爺さんの足はヨロヨロ。
「こんな犬でもトリミングが必要なのか」
 私が言うと、愚妻がキッとニラんで、
「当たり前じゃないの!」
 これがもし綱吉の時代であれば、私は「お犬様」に暴言を吐いたかどで、間違いなく八丈島に流されていたことだろう。
 くわばら、くわばら。

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