押尾学の逮捕は「さもありなん」だが、酒井法子の覚醒剤容疑による逮捕状は「まさか」であったろう。
NHKもトップニュースで報じていた。
酒井法子が覚醒剤にどう関わってきたのか定かではないが、世間の反応は、
「どうしてあんなバカなことを」
というものだ。
当然だろう。
私も、そう思う。
しかし、そう思う私も世間も、
「自分なら、そうはしない」
という立場。
つまり、酒井法子は「あっち側」で、自分は「こっち側」。
今回の一件に限らず、事件が起きるたびに私たちが取るスタンスである。
でも、本当に私たちは「こっち側」にいるのだろうか?
犯罪者になろうと思って生まれてくる人間はいない。
覚醒剤に関与すれば、自分や家族の立場がどうなるか、わからないわけではない。
わかっていて、悪の道にはまりこんでいく。
すなわち私たちは、そうと気がつかないだけで、「こっち側」と「あっち側」の塀の上をヨロヨロと歩いているに過ぎないのだ。
人生なんて危ういものだと、つくづく思うのである。
今月と来月、保護司の研修会は「覚醒剤」と「薬物」がテーマだ。
薬物については、これまで何度も研修を受けてきているので、いかに人間を蝕(むしば)むかはよく知っているが、
「なぜ手を出すか」
について、実は私はよくわかっていない。
「好奇心から」
「痩せられると聞いて」
「疲れが取れるから」
といった動機はもちろん承知しているが、そういうことではなく、もっと深いところの因果関係である。
すなわち、「悪」とわかっていて手を染める「人間の心」だ。
薬物に限らず、教師の児童買春、公職の破廉恥罪などなど。
彼らもまた「こっち側にいる」と思って、これまで生きてきたはずである。
そして私も同様、「こっち側にいる」と信じきっている。
恐いことではないか。
酒井法子と「人生の危うさ」
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