歳時記

こんな世の中だからこそ、極楽トンボ

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 苦労が表に出るタイプと、そうでないタイプがいる。
 私は後者だと思う。
 先夜も馴染みの寿司屋で、
「どうやれば運がつくんでしょうねぇ」
 と、板サンが私に問いかけた。
 私が、運気に乗ってスイスイと生きているように見えるらしい。
 ひどい誤解で、私の人生は〝アヒルの水かき〟なのだが、それが外見に現れないということのようだ。
 長年連れ添う愚妻ですら、私のことを「極楽トンボ」と揶揄(やゆ)するくらいだから、
(私は誤解されて生きている)
 と心底、思うのである。
 何を誤解されているかというと、私は「運がいい」のではなく、
「運があるかのように生きている」
 というのが正しいのだ。
 どういうことかと言えば、
(自分はツイている)
 と勝手に思い込むことだ。
 なぜなら、
『禍福は糾(あざな)える縄の如し』
 と諺(ことわざ)にあるように、人生というやつは「運」と「不運」とが交互にやってくる。
 つまり、運と不運は50対50なのだ。
 ということは、この50対50をどう見るかによって、運と不運は決まると、私は考える。
 50対50を客観的に見る人は、
「人生、いいときもありゃ、悪いときもあるさ」
 と、期待半分、あきらめ半分の境地。
 不運の50パーセントばかりを見る人は、
「わしの人生、暗いのう」
 と、グチの日々になるだろう。
 私は、「ラッキー!」の50パーセントしか見ない。
 だから私は、「運に恵まれて生きている」ということになるわけである。
 そんな私に対して、愚妻は、
「あなたは何でも自分の都合のいいように考える」
 と非難するが、カミさんは愚かにも、「自分の都合のいいように考えること」こそ、幸せに生きる要諦(ようてい)であることに気がつかないのである。
 せち辛い世のなかだからこそ、極楽トンボのマネをして、ノンキに、気ままに、スイスイと飛ぼうではないか。

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