歳時記

畑で「理屈」と「現実」について考えた

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 昨朝、雨で畑に行けないと書いた午後になって、いきなり雨があがった。
 86歳の親父が、
「行こう!」
 と、目を輝かせている。
「よし、行こう!」
 家庭訪問も終えたし、私も懸案を早く片づけたくて、物置と畑道具を大急ぎで車に積み込み、畑へ走と飛ばした。
 と、イヤな予感。
 空がいきなり暗くなったのである。
「こりゃ、また雨が降るかもしれんのう」
 親父がつぶやいたとき、私は雨を確信した。
 うまくいかないのが人生で、特に意気込んだときほど裏目に出るものなのである。
 ポツリ、とフロントガラスに雨粒。
 畑まで10分足らずだというのに、着くと同時に雨が降り出した。
 が、それでも親父は、果敢にクルマから飛び出していく。
 私もあとに続き、雨の中、ふたりして物置を設置。さらに、ネギと水菜を植えたのである。
 そして、私の予感どおり、作業が終わったところで雨が上がって晴天が広がった。
(もう少し時間をずらして来ればよかった)
 と、私はもちん思ったし、親父もそう思っていることが顔に書いてあるが、お互い、それは触れないようにしながら、
「これでひと安心だ」
 と、笑顔と笑顔。
 ところが、愚妻がもう一台を運転してやってくるなりノーテンキに言った。
「あわてて行かなくても、もうちょっと待てば濡れずにすんだのに」
 イヤな女である。
「ものごとを結果論で評価してはいかん。そういうのを〝後知恵〟と言うのだ」
 私はたしなめたが、
「でも、ちょっと待てば濡れなかったじゃないの」
 愚妻は譲らない。
 理屈において私が正しく、現実において愚妻が正しいということか。
 ならば、真に正しいのはどっちなのだろうか、と、この忙しいときに、くだらぬ疑念が脳裏をよぎったのである。
 

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