歳時記

病院の待合室で考えた

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 昨日、親父を連れて大学病院へ行った。
 病気というのではなく、血圧の測定など月に1度、定期的に通っている。
 いつものように内科に行くと、連休前とあってか、大勢の患者さんが待っていた。
「Aさん、20番診察室にお入りください」
「Bさん、22番診察室にお入りください」
 医者が、ずらり並んだ診察室から、それぞれアナウンスする。
 高い声、低い声、噛みつくような口調、リズミカルな口調、蚊が泣くような小さな声……。
 そんな声を聞きながら、私は医者の顔をあれこれ想像しつつ、ヒマつぶしに、
(もし俺が診てもらうとしたら、何番の医者がいいかな)
 などと考える。
 口調というのは大事で、患者の名前を呼ぶ声やトーンによって、
(この医者には診てもらいたいな)
(ウーン、この医者はちょっと……)
 そんな気分になってくるのである。
 もちろん、アナウンスの口調と、医療技術の優劣は別だ。
 ぶっきらぼうなアナウンスであっても、患者にとっては、優秀な医者のほうがいいに決まっている。
 だが、アナウンスの声を聞いて、
(この医者には診てもらいたい)
 と感じるのと、
(この医者はちょっと……)
 と感じるのとでは、「信頼度」に大きな差が出てくる。
 医者への信頼度は、きっと治療効果にあらわれるに違いない。
 となれば、アナウンスもまた、医療技術に入るのではないだろうか。
(これは病院経営の意外な盲点ではないか)
 などと、退屈にまかせてあれこれ考えながら、午前中を病院で過ごしたのであった。
 

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