歳時記

時代は「癒し」から「戦闘」モードへ

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 都内に出るときは、用事をまとめるようにしている。
 昨日も都内で3件ほど編集者と打ち合わせをしたが、3つ目のやつは酒席だった。前々から引き受けていたテーマだが、私の都合で執筆が延び延びになっていることから、いわば〝ケツ叩き〟の打ち合わせである。
 編集者と雑談するのは楽しく、話題は遊びから天下国家まで縦横無尽となるが、昨夜は福田首相の突然の辞任をどう観るか、という話になった。
 安倍前首相の1年前の辞任劇のときもそうだったが、私が面白いと思ったのは、
「政治家なら死ぬ覚悟でやれ」
 という過激な責任論である。
 なぜかと言うと、ついこのあいだまで、私たちは〝癒し〟を求めていたはずであるからだ。
《つまづいたっていいじゃないか 人間だもの》
 相田みつを氏のこの言葉に代表されるように、人間の弱さを肯定し、そこに癒しを見いだしたはずである。
 このデンでいけば、
「辞任したっていいじゃないか、人間だもの」
 となっていいはすだ。
 首相だら、公職だから責任がある、と非難するのは当たらない。
「人間、みな同じ」
 というのが癒しのキモであるからだ。
 つまりは、立場にかかわらず、「人間だもの、みな同じ」というわけである。
 ところが、安倍辞任も福田辞任も「人間だもの」と、寛容には受け入れてもらえない。
 これは政治家に限らない。
 北京オリンピックで惨敗した野球も、指揮をとった星野氏は責任論がにぎやかだ。
 どうら時代時の精神性は、「癒しモード」から「戦闘モード」に変わりつつあるということか。
「つまづいたら、すぐ起き上がって走らんかい!」
 これが、現代の風潮だろう。
 癒しから戦闘へ、戦闘から癒しへと精神モードは交互に繰り返していくのである。
 となれば、時代の風潮に乗るか、我が人生観を貫くか。
 ここいらが思案のしどころのようである。

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