歳時記

人生とは、網で水を掬うようなものだ

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 この土、日で、我が昇空館の河口湖合宿を終えた。
 一泊二日と短くしているのだが、それでもみなさん多忙で参加できない人も多く、30名ほどが集まった。
 土曜日が空手、日曜日が古武道の稽古だったが、懇親会となれば白帯も黒帯も関係なし。同好の士が集うのは楽しいもので、たぶん歳を取れば取るほどそうなっていくのだろう。
 これは合宿で話をしたことだが、空手や古武道の稽古は奥が深く、稽古すれども遅々として上達しないように感じる。
 たとえて言うなら、網で水を掬(すく)おうとするようなものだ。
 なるほど水は掬えない。
 徒労かもしれない。
 だが、網に水滴は残るのだ。
 その水滴をコップに一滴ずつ溜めていけば、やがて満杯となる。
「稽古とはそういうものではないか」
 と、私は話をした。
 そしていま、ふとそのことを考えていて、これは稽古に限らないな、と思った。
 人生などと大上段に振りかざすつもりはないが、夢を描き、その実現に向けて必死の努力をしてなお、網で水を掬うがごとく、遅々として到達しないのが人生だ。
 私も顧(かえり)みて忸怩(じくじ)たる思いをなしとしない。
 だが、
「果たして自分は、網についた水滴を溜める努力をしてきただろうか?」
 と自問して、私は愕然とする。
 水を汲むことばかり必死になって生きてきた自分が、そこにいた。
 網は水を汲むものではなく、水滴をつけるものなのだということに気づかない自分がいた。
 だから徒労の人生になる。
 これがもし、「水滴を溜める」という人生観であったなら、もっと楽に生きてこられたのではないだろうか。
 世のなかに「不幸」はない。
「苦悩」もない。
「徒労」もない。
 あるのはただ、流れゆく日々をどうとらえるか、という人生観だけである。

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