歳時記

「後悔」の本質は「決断」にあり

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 人生は、後悔の連続である。
 なぜなら「人生の回答」は、必ずあとになって知るものだからだ。
 馬券を買ってハズレれば、
(買わなきゃよかった)
 と後悔し、的中すればしたで、
(もっと買っとけばよかった)
 と後悔する。
 就職しかり、転職しかり、結婚しかり、投資しかり、仕事しかり……。
 人生を選択と決断の日々とするなら、結果がどっちに転ぼうと〝後悔の連続〟ということになる。
 だから、決断に際して迷う。
 先行き不透明な世情であるだけに、人生をどう選択していいか、正解は容易には見つからない。
 欲もからむ。
 悩みが高じて精神に変調をきたす――これが現代社会だろう。
 だが、後悔についてよくよく考えてみると、面白いことに気づく。
 結果に対して後悔しているように見えて、実はそうではない。
「結果」ではなく、「決断したこと」に対して後悔しているのだ。
 馬券が「ハズレたこと」に後悔しているのではなく、その馬券を「選択したこと」に後悔しているのだ。
 さらに言えば、選択(決断)の段階で迷いが生じており、迷った末の決断であるから、
(だからヤバイと思ったんだよな)
 やめときゃよかった――と後悔するのである。
 すなわち、決断において迷いがなければ、後悔もないということになるが、これを逆説的に言えば、
「後悔しなければ、迷いもない」
 ということなのだ。
 屁理屈ではない。
 たとえば、生死の狭間に身をおいた武芸者たちは、後悔しないよう自分を厳しく律した。
(この勝負、命を落としても後悔せず)
 と、ハラをくくることによって、勝負に臨む心の迷いを封じたのである。
 人生は、割り切れない。
 割り切れないものであることを承知のうえで、強引に割り切る。
 その方法論の一つが、決断に際して「後悔しない」と胆をくくることなのである。
 昔の武芸者は、命を懸けてなお、敢然と決断した。
 それを思えば、我ら凡人の決断など、たとえ失敗しても後悔するほどのこともないではないか。
《人生、塞翁が馬》
 決断に正解も不正解もなく、あるのはただ、刹那における後悔の念だけなのである。

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