歳時記

「中途半端」考

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 昨日の昼、友人で、キックボクシング元世界チャンプのN氏が遊びに来てくれる。
 どんな話しをしていても、最後は技術論や指導論になっていく。
 彼は50代に入りながら、キックに懸ける真摯で熱い姿勢は大いに刺激を受ける。
「ゆとり教育」などというバカげた時代があったが、何事も一所懸命でなければならないというのが、私の変わらぬ信念である。
「何事も」というところが大事で、自分の得になることは誰でも一所懸命になる。
 これは動物。
 彼らは、まさに命懸けでエサを獲りにいく。
 人間は違う。
 得にならなくても、引き受けたこと、始めたこと、頼まれたことは、たとえ自分に損になろうとも全身全霊を打ち込んで当たる。
 ここが動物と人間の違うところだろうと思っている。
 私はそうありたいと願っているから、すべてにおいて極端だ。
 やるなら「命懸け」、やらないなら見向きもせずに「昼寝」。
「あなたは何でそう極端なのよ」
 と、愚妻は結婚して以来、40年に渡って文句を言い続けているが、口幅ったいのを承知で言えば、「責任」ということを念頭において行動すれば必然的にそうなるのではないだろうか。
 ヤクザは自己を評して、
「バカでなれず、利口でなれず、中途半端でなおなれず」
 と、自嘲を装いつつ、矜持を込めて言う。
 含蓄に富んだ言葉だ。
 眼目は「中途半端」にある。
 中途半端を蔑んでいるのだ。
 だから、「中途半端であってはならない」と自戒し、責任を貫こうとすれば、処し方はおのずと極端にふれる。
「だから、わしは悪くない」
 と胸を張るのだが、愚妻はむろん耳を貸すことはない。

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