湯船につかった瞬間、いろんなアイデアが閃(ひらめ)くことは、再三、ご紹介してきた。
今朝、自宅の風呂へつかり、
「ああ、極楽、極楽」
とつぶやいた刹那、
「極楽」
という言葉について閃いた。
人生は苦楽と二人づれと言うが、苦も楽も、これは「生き、生かされている」ことの証(あかし)である。
となれば「苦楽」に感謝し、「御(ご)」をつけて「御苦楽」と言うべきではないか。
すなわち「極楽」とは「楽が極(きわ)まる」という意味ではなくて「御苦楽」を語源とし、日々の感謝の意味だ。
もっと言うなら、この世に生きる、そのことが「御苦楽」であるなら、まさに「御苦楽は足下にあり」ということになるのである。
素晴らしい思いつきと自画自賛したが、頭を剃っているうちに次第に興ざめしてきて、
(くだらいなこと考えてないで、原稿を書かなくては)
と気持ちが急(せ)いてきた。
明日、23日は稽古納め。
今年もまた、あわただしく過ぎようとしている。
風呂で「極楽」の意味が閃く
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