歳時記

花粉症で悟る「不幸の本質」

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 原稿にあきてきたので、いまインターネットでニュースを読んでいると、今年の春は、花粉症の人にとってヤバイという記事が配信されていた。
 東京都によれば、スギ・ヒノキ花粉の量が去年の2倍から3倍近くになると言うのだ。
 ヤバイ。
 本当にヤバイ。
 花粉症の私は、毎年春になると憂鬱になるのだ。
 ところが、インターネットの記事は続けて、都民の3.5人に1人が花粉症であると書いてあるではないか。
(なんだ、花粉症ってポピュラーじゃん)
 にわかに気分が明るくなってきたのである。
 で、ハタと思った。
 これまで花粉症をつらいと感じたのは、
(なんでオレが――)
 という思いがあったからではないか。
 症状はもちろん苦しいのだが、それを増幅しているのが、
(なんでオレが――)
 という思いであることに気がついたのである。
 赤信号をみんなで渡れば怖くないのと同様、みんなが花粉症になってしまえば苦にはならない。少なくとも、いまよりは気分は楽なるはずである。
 そこで、さらに考えた。
 不幸は、不幸であることよもむしろ、
(なぜ自分だけが、こんな目にあわなければならないのか)
 という思いに〝不幸の本質〟があるのではないか。
(私だけが、私だけが、私だけが……)
 こうして人間はドツボに嵌っていくのだ。
 これを「私だけが病」と名づけよう。
 苦しく、絶望しそうになったら、それは不幸でも何でもなく、〝私だけが病〟に罹っているのだ。
 花粉症の記事で判然と悟った「不幸の本質」である。
    

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