歳時記

枝葉末節に眼を奪われるな

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 今日、経営コンサルタントで、倒産回避のエキスパートである立川昭吾先生に所用があり、何年かぶりにお会いした。
 かつて漫画サンデー誌で、『裁きの銀』という連載劇画のシナリオを私は書いたが、そのモデルが立川先生だ。
 相変わらずエネルギッシュで、
「小沢問題、面白いですか?」
「ええ」
「どうして?」
「逮捕まで行くのかどうか、面白いじゃないですか」
「でもね、私のように経営という戦場の最前線にいる者からすれば、小沢さんの問題も大事だろうけど、いまのこの経済危機をどうするのかと危惧しますね。緊急課題を放っておいて、メディアも国会も小沢問題一色。正気の沙汰とは思えない」
 正論をズバリ。
 そういえば、かつてウラ社会で活躍していた知人が、
「芯(しん)をつかめ」
 と、口癖のように言っていたことを思い出した。
 これを私流に解釈すれば、
「枝葉末節(しようまっせつ)に眼を奪われるな」
 ということだ。
 枝葉(えだは)がいかに見事に繁っていようと、それは幹(みき)があってのこと。幹がなければ、枝葉は存在しないのだ。
 しかるに私たちは、見事な枝ぶりに眼を奪われてしまう。
 その結果、幹という〝本体〟を見失ってしまうというわけである。
 小沢問題、日本航空の問題、さらに環境、失業、不景気、教育などなど、耳目を引く話題や事件は多いが、
「私たちにとって、それらがどいういう意味を持つのか」
 という〝幹〟を見る視点を忘れてはなるまい。
 この視点は、天下国家のことに限らない。
「なぜ生きるのか」
「なぜ仕事をするのか」
「なぜ腹を立てるのか」
「なぜミエを張るのか」
「なぜ恥ずかしがるのか」
 日々の生活において、私たちは枝葉に眼を奪われ、幹という芯を見失ってはいないだろうか。
 だから風が吹くたびに、右に左に揺れる枝葉を追って、右往左往する。
 人生に疲れるのは、きっとそのせいだろうと、立川先生とお会いした帰途、つらつらと、そんなことを考えた。

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