仕事も一段落し、遅ればせながら3日ほど夏休み。
といっても、予定があるわけではなく、九十九里の仕事部屋に来て、ごろごろ寝転がって仏教関係の本を読んでいる。
海は、すぐそば。
時間ができたら海に入ろうと思っていたが、いざ時間ができてみると億劫(おっくう)になってくる。
「これが終わったら」
「時間ができたら」
という「たら」の無意味さを改めて考える。
「遊び」は、忙しいときにするものだ。
『忙中閑』であるべきで、『閑中忙』であってはなるまい。
さて、風呂へ行って、メシでも食いに行くか。
「おい、健康ランドへ行くぞ」
愚妻に告げる。
「ハイハイ」
と、こういうときだけは素直な返事が返ってくるのだ。
この態度を「素直」とするか、「身勝手」とするか。
夏休みとは言いながら、いろんなことを考えさせられるのだ。
「たら」の無意味さ
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