歳時記

何事も「出口」が大事

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 毎年、この時期になると、道場をやめていく子がいれば、新しく入ってくる子がいる。
 差し引きして、大人から子供まで、だいたい100名ほどで推移している。
 入会を「入口」とすれば、退会は「出口」となるが、私は何ごとも「出口」が大事だと考えている。
 つまり私の道場でいえば、やめるのはもちろかかまわないが、「いかにやめるか」が大事だと思うのだ。
 やめていく子供の多くは、小学生なら塾、中学なら部活で忙しくなるというのが理由だ。
 それもほぼ全員が、緑帯が紫帯といったレベルで、そのことが私は残念であり、気がかりである。
 つまり彼らは、黒帯というゴールに達する前にやめていく。
 やむを得ない事情は当然あるだろう。
 それはいい。
 私が気になるのは、自分が落ちこぼれ、そのための理由を〝後付け〟している場合で、そのことは当人が誰より承知している
「完走できなかった」
 という〝挫折感〟が、もし心の片隅に残るとすれば、彼らにとって気の毒だと思うのである。
 人生も同じではないか。
「挫折感」とは「達成感」と表裏の関係にある。
 そして「達成感」は〝事後〟に感じるものであり、だから「出口」が大事だと私は思うのである。
 道場では、落ちこぼれを出さないよう細心の注意を払って指導しているのだが、「出口」がいかに大事であるかがわかっている保護者は、残念ながら少ないようである。
 

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