歳時記

忙しいという錯覚

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 昨日、都内で所用があり、電車で出かけた。
 私の隣に座る30代とおぼしき男性が、熱心にケータイ電話でゲームをやっている。
(何がそんなに面白いのか)
 と思うのは私の勝手で、彼にしてみれば楽しいのだろう。
 前の席では、若い女の子がメールでも打っているのだろう。
 これまた熱心に親指を動かしている。
 さらに別の席では、中年女性が文庫本を読んでいる。
 そこで、ふと思った。
(この人たちはヒマつぶしにそうしているのか、ヒマを見つけたからそうしているのか)
 そんなことを考えている私こそ、まさにヒマ人ということになるが、他人様を見ながらあれこれくだらないことを考えるのは、電車に乗る楽しみの一つでもある。
《忙中閑あり》
 という言葉がある。
「忙しい中にも、ちょっと一息つける時間はあるものだ」
 という意味だが、東洋哲学の大家・故安岡正篤氏は、太平洋戦争当時を振り返りつつ、《忙中閑あり》について、こう語っている。
「ただの閑は退屈にして精神が散じてしまう。忙中につかんだ閑こそ、本当の閑でありまして、激しい空襲の中でも十分、二十分の短い閑に悠々と一座禅、一提唱できました。こういうのが〝忙中の閑〟であります」
 私など、まったく逆で、「〝閑中〟の忙」ではないのか。
 だから「相対的」に忙しく感じ、さも充実した日々のように錯覚しているのかもしれない。
 1日は24時間もあるのだ。
 そうそう忙しいはずがないではないか。
 隣席でゲームに没頭する男性の手元を横目で寝ながら、自分にそう言い聞かせたのだった。

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